沼津駅周辺の地形に城の跡が残ってた!沼津城周辺を歩いてみた

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沼津市の「まちづくりファンド採択事業」にもなった「ぷらタコり-歩いて知ろう沼津の歴史・地理・文化-」に参加してきました。主催は、たぶんこちらのブログの方です。
ぷらタコり 企画 「ぐるっとまわろう沼津城」 実施報告|== 肖蟲軒雑記 ==

第1回目は、沼津城。沼津城は、今は実在しません。

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沼津城のざっくりとした歴史


沼津城があった場所(現:沼津中央公園)は、敵陣との境目らしい。
1579年に、三枚橋城として武田勝頼により築城された(ちょうど真田丸の時代です)。三枚橋城は、1613年に廃城。

三枚橋城廃城後、150年の時を経て、幕末期の1778年に三河の水野忠友(ただあきら)が沼津城を築城、91年間「沼津藩」となる。明治時代となった1872年に廃城。

沼津城の地形


富士山噴火時の溶岩が、沼津駅周辺の地形にも影響を及ぼしています。
また、沼津城跡周辺には、今でも城があった時の影響を残している場所があります。

ラクーン(旧西武新館)〜図書館までの通りに亀裂が入っていますが、お堀との境目で地盤の違いで生じているものでは?とのことです。

葉山珈琲から図書館方面に向かって歩いていくと、沼津城址の看板があります。

デイリーストアや六文亭がある通り。
ここだけでなく、図書館あたりから西側(駅方面)に向かう道がゆるやかな登りになっています。お城は通常高い場所にありますから、お城があった中央公園に向けて標高が高くなるのも納得です。

中央公園には、沼津城の本丸がありました。
沼津城址

中央公園を下っていくと、もう一つ公園があります。
写真は、下の公園から見た中央公園。上の柵の向こうが中央公園です。なんでこんな変な作りをしてるんだろうという謎が、やっと解けました。

その中央公園下の公園、あゆみ橋下から上土町に抜ける通りが、「川廊(かわくるわ)通り」というそうです。「川廊」は「川曲輪」と同義で、狩野川に面した城廓に由来して名付けられたそうです。

川廊通りを抜けて、新仲見世へ向かいます。その途中、静岡銀行の入り口に石垣の跡が残っていることが判明。てっきり飾りかと思ってました…。

新仲見世には、テレビのイマイさん前に、沼津城の説明看板があります。テレビのイマイさんのご主人に、沼津城のお話も伺いました。

その中で、「新仲見世をせせらぎの町にしたい!」との意気込みを語っていただきました。
川通ってないし、せせらぎなんて思い浮かばないんですけど…。実は、下水とは別に、新仲見世を通る雨水と湧き水?の専用配管があるらしいです。
だから、配管口が開いているんですね。確かにこれが下水だったら、臭いですよね…。

せせらぎをアピールするのであれば、まずは看板か、もうちょっと気の利いたデザインの配管口などがあるといいですね。
私はあまりせせらぎを理解できていないので、詳しく知りたい方は、新仲見世のテレビのイマイさんに聞いてみてください。

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